この地球上のいたるところの情報が自宅にいて手に入るようになり,国際的な交流までもパソコンの前に座れさえすれば深めていくことができるグローバルな日々です。特に肉体的に閉ざされたこの3年間は,ウエブ上での国際交流がさらに加速したように自分の環境を鑑みてもそう思えます。花の国際大会は行えなくても,各国のフラワーデザイナーの技術をウエブ上で写真や動画を通じて知ることができますし,10数か国のデザイナーの作品を集めたeBookも作られ,舞台は画面上に変わってきました。
自宅におりながら他国の文化を学ぶことができますが,日本の文化を取り入れたデザインを自分が発信しているかと言われたら,Yesと胸を張って言えなさそうです。よく,外国人のほうが日本文化や歴史に通じていると言われますがその通りかもしれません。もちろん欧米で発祥したフラワーアレンジメントですから,欧米に学ぶことは必要ですが,生活習慣も自然環境も違う国々の文化の真似をすることに疑問を抱きます。
茶道をきちんとならったことはありませんが,お茶をたてる姿勢は好きです。「居住まいを正して」花を活ける姿勢は,フラワーデザインの教義にはありません。私たち日本人は畳の生活で正座をする生活でした。正座は同席している相手だけでなく,そこにある空気をも含むあらゆるものに敬意を表している気がします。歳のせいか,そういう姿勢のフラワーアレンジメントを進めていきたいと思うようになりました。日本の芸道に秀でた方々は年を経るに従い余分なものをそぎ落とした美を表現なさいますが,西欧文化であるフラワーアレンジメントの世界ではいかがかと自分の行く末さえ案じるようになりました。
自分の花の道はどうありたいかと考えると,やはり日本舞踊に始まった自分の人生と切り離すことができないと感じます。そこでなんとなく居住まいを正す文化であるお茶道具に合わせてアレンジしてみようと思ったわけです。お稽古道具なので貧相ではありますが…。居住まいを正すと花も一緒に居住まいを正しているようで,一本一本の茎の流れや小さな,また細い葉の流れがいつもよりもいっそう愛おしく感じます。茎の切り口にさえ愛おしさを感じるわけです。
これから人生の最終期ですから,日本人として生まれた今生を余すことなく有意義に過ごす意味でも,本当の意味での日本のフラワーアレンジメントを進めていこうと思います。
まずは,お茶道具と共に。
お楽しみいただけると幸いです。