手を加えないこと

もちろん昔から感じていたことなのですけれども,また自分のテクニックの無さを認めたくないためなのかもしれないのですが,「花を活ける」ということは,花の命を預かるという事でもあるような気がします。

ワイヤーで葉っぱの束をぐるぐる巻きにしたり,花が開かないようにグルーで留めたり,自分の思い描く形に仕上げる細かで丁寧なテクニックも造形美として尊いものだと思います。多くのデザイナーが高度なテクニックを使い,この上なく素晴らしい作品をしあげます。ただそれは美術であり作品と呼ぶものだと思うのです。

花の命を大切に扱うことは,花の持つ良さを最大限に表そうとすること,その良さというものはデザイナーにとって捉え方がさまざまです。色や形ある物体としてとらえるデザイナーは,その特徴を活かして目を見張るようなさまざまなデザインを作り上げます。そこには花の魂は無く,作品の魂ができあがります。

一方,花の魂に同調して「命を活ける」デザイナーもいます。どちらがいいということはここでは重要ではありません。30年近く前におかくれになりましたが,私に書をお教えくださった先生は,いけばなの宗家でもいらっしゃいました。針金やテープなどの補強資材を一切使わず,お花や草という自然の物だけで思い描く姿においけになる流派をお作りになりました。先生は60歳からお花をお教えになったのですが,私も60歳を前に,日本人として花を活けるとは,魂を同調させることに始まるのではないかと思い始めました。お能もお茶も武道も,すべての日本文化というものが魂の同調に始まるように思えるのです。

もちろん,若い頃から花を活ける前に花に挨拶をして,花と友達になるという所作をしてまいりましたが,それとは違う何かが自分の中に湧き出るのを感じます。花の魂で作り上げた魂の集合体,そこには個々の花の持つ魂がきらびやかに存在しなければなりません。個を滅した作品ではなく,個々の集合体です。日本人の特性と言われる個の滅せいは決して個を亡くしたわけではなく,個をもちながら集合体としての存在を重視してきたように思います。

レッスンでは,基本形をもとに説明をすると生徒さんも理解しやすく活けやすくなりますから,論理をもちいます。それ以外に,花たちが生きているか,彼らの魂を尊重しているかを見ることも教えていかなければならないでしょう。

楽しく活ければそれでいい,もちろん楽しんでいければ花も喜ぶでしょう。でもそれは生徒の立場です。私たち教える側は,生徒の上達を伴う喜ぶ心と生徒の扱う花の魂も大切にできる器でなければならないと思うのです。当たり前のことなのですが,レッスンで見落としがちな点かもしれません。

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