フラワーデザインを,私はある意味で数学と言語にリンクしたものだと思っています。
スタイルは幾何から来ており,プロポーションは代数で割り出せます。デザイナーなら誰もが思うことですね。では,言語がどうしてリンクしているのかというと,言語とは,ほとんどが〈主語+述語〉でできているからです。日本語では「何がどうする。」「何がどんなだ。」「何が何である。」そして「何がある。」で表せます。この「何が」が主語であって「どうする・どんなだ・何である・ある」が述語になるわけです。いわゆる何かを表すときの骨組みです。ここに修飾語がついていくわけです。「真・添え・控え」に通じるものがあるでしょう。
フラワーデザインでも骨組みがあってそこに修飾物がつきます。副詞のような強調する語として「アクセント」という花資材をいれます。文法で「呼応の副詞」というのがありますが,これは「バランス」をとるときに無意識に使うことと似ています。「右上に線で長く,左下に塊で短く」というような具合です。フラワーデザイナーには数学が得意な人が多いですね。私の知人に日本でいうところの東大を出たデザイナーがいますが,彼のデザインはミケランジェロのように非の打ち所がないほど完成されています。頭脳明晰な芸術家というところでしょうか。
日本人デザイナーでは繊細でふくよかな作品が多いですね。それは古典という文学が存在するからではないでしょうか。古典文学を読むうえで,副詞や形容動詞,形容詞のように修飾語は極めて重要な要素です。私は英語も教えていますが,英語の公式〈主語+動詞〉よりも感動的と思います。“ It is very beautiful.” より,「いとおかし」のほうが何となく含みを感じませんか?(感じない?としたらきっとあなたは国際社会で立派に活躍できるでしょう!)
それらは私たち日本人のDNAに組み込まれています。だから,主役でない修飾というもの,はっきりそれとわからない修飾を理解できるし,そのやり方に長けているのです。英語では関係代名詞や分詞句などが修飾として使われますが,それぞれが主張をしているように規則正しく並んでいなければなりません。節は〈主語+動詞〉のセットが必要ですし,分詞句では正確な前置詞や語順が必要です。こう考えると西欧の美の象徴であるミケランジェロが完璧な作品を作り上げ,レオナルドダヴィンチのモナ・リザがち密な計算によって非がないのは当然のように思えます。ラテン語は英語の基であるわけですから。このようにラテン語からできた英語は完璧な語順と〈主語+動詞〉が必要ですし,中国の漢詩も韻を踏む位置は決められていますね。
日本語では「助詞」というものがあり,古典などは「の」で済まされることが多く見られます。たった一文字「の」をつけることによって名詞は主語にもなるし形容詞にもなります。また語順なんてどうでもいいわけですし,主語などはよく省略されます。古典では主語はほとんど見当たらず,敬語などで主語を探すので古典はきらい~という人も多いのではないでしょうか。一つの文の中に主人公の動作と彼の動作がはいっていることもあり,同じ日本語なのに「誰がどうした」のかわかりにくいのは私だけではないでしょう。けれども,だからこそ,美しいのです。日本語とは無いことが美しいといえる言語,余韻を残す言語と言えるかもしれません。〈主語+動詞〉の文は安定しているし,論理的な欧米のデザインは安定感を与えるけれども,見えないものを想像させる日本語に通じる日本のフラワーデザインは見た人に見えないものを創造させます。だから作品のオーラがふくよかになるのです。
日本人が欧米のデザインを好むようになったのと比例して,英語教育が発達してきました。フラワーデザインが言語とリンクするならば,日本人的なデザインを作り上げるためにも日本語の美しさを探求することはヒントになるかもしれませんね。