日本文化としてのフラワーアレンジメント~お茶席アレンジ
この地球上のいたるところの情報が自宅にいて手に入るようになり,国際的な交流までもパソコンの前に座れさえすれば深めていくことができるグローバルな日々です。特に肉体的に閉ざされたこの3年間は,ウエブ上での国際交流がさらに加速したように自分の環境を鑑みてもそう思えます。花の国際大会は行えなくても,各国のフラワーデザイナーの技術をウエブ上で写真や動画を通じて知ることができますし,10数か国のデザイナーの作品を集めたeBookも作られ,舞台は画面上に変わってきました。
自宅におりながら他国の文化を学ぶことができますが,日本の文化を取り入れたデザインを自分が発信しているかと言われたら,Yesと胸を張って言えなさそうです。よく,外国人のほうが日本文化や歴史に通じていると言われますがその通りかもしれません。もちろん欧米で発祥したフラワーアレンジメントですから,欧米に学ぶことは必要ですが,生活習慣も自然環境も違う国々の文化の真似をすることに疑問を抱きます。

茶道をきちんとならったことはありませんが,お茶をたてる姿勢は好きです。「居住まいを正して」花を活ける姿勢は,フラワーデザインの教義にはありません。私たち日本人は畳の生活で正座をする生活でした。正座は同席している相手だけでなく,そこにある空気をも含むあらゆるものに敬意を表している気がします。歳のせいか,そういう姿勢のフラワーアレンジメントを進めていきたいと思うようになりました。日本の芸道に秀でた方々は年を経るに従い余分なものをそぎ落とした美を表現なさいますが,西欧文化であるフラワーアレンジメントの世界ではいかがかと自分の行く末さえ案じるようになりました。

自分の花の道はどうありたいかと考えると,やはり日本舞踊に始まった自分の人生と切り離すことができないと感じます。そこでなんとなく居住まいを正す文化であるお茶道具に合わせてアレンジしてみようと思ったわけです。お稽古道具なので貧相ではありますが…。居住まいを正すと花も一緒に居住まいを正しているようで,一本一本の茎の流れや小さな,また細い葉の流れがいつもよりもいっそう愛おしく感じます。茎の切り口にさえ愛おしさを感じるわけです。

これから人生の最終期ですから,日本人として生まれた今生を余すことなく有意義に過ごす意味でも,本当の意味での日本のフラワーアレンジメントを進めていこうと思います。
まずは,お茶道具と共に。
お楽しみいただけると幸いです。



手を加えないこと
もちろん昔から感じていたことなのですけれども,また自分のテクニックの無さを認めたくないためなのかもしれないのですが,「花を活ける」ということは,花の命を預かるという事でもあるような気がします。
ワイヤーで葉っぱの束をぐるぐる巻きにしたり,花が開かないようにグルーで留めたり,自分の思い描く形に仕上げる細かで丁寧なテクニックも造形美として尊いものだと思います。多くのデザイナーが高度なテクニックを使い,この上なく素晴らしい作品をしあげます。ただそれは美術であり作品と呼ぶものだと思うのです。
花の命を大切に扱うことは,花の持つ良さを最大限に表そうとすること,その良さというものはデザイナーにとって捉え方がさまざまです。色や形ある物体としてとらえるデザイナーは,その特徴を活かして目を見張るようなさまざまなデザインを作り上げます。そこには花の魂は無く,作品の魂ができあがります。

一方,花の魂に同調して「命を活ける」デザイナーもいます。どちらがいいということはここでは重要ではありません。30年近く前におかくれになりましたが,私に書をお教えくださった先生は,いけばなの宗家でもいらっしゃいました。針金やテープなどの補強資材を一切使わず,お花や草という自然の物だけで思い描く姿においけになる流派をお作りになりました。先生は60歳からお花をお教えになったのですが,私も60歳を前に,日本人として花を活けるとは,魂を同調させることに始まるのではないかと思い始めました。お能もお茶も武道も,すべての日本文化というものが魂の同調に始まるように思えるのです。
もちろん,若い頃から花を活ける前に花に挨拶をして,花と友達になるという所作をしてまいりましたが,それとは違う何かが自分の中に湧き出るのを感じます。花の魂で作り上げた魂の集合体,そこには個々の花の持つ魂がきらびやかに存在しなければなりません。個を滅した作品ではなく,個々の集合体です。日本人の特性と言われる個の滅せいは決して個を亡くしたわけではなく,個をもちながら集合体としての存在を重視してきたように思います。

レッスンでは,基本形をもとに説明をすると生徒さんも理解しやすく活けやすくなりますから,論理をもちいます。それ以外に,花たちが生きているか,彼らの魂を尊重しているかを見ることも教えていかなければならないでしょう。
楽しく活ければそれでいい,もちろん楽しんでいければ花も喜ぶでしょう。でもそれは生徒の立場です。私たち教える側は,生徒の上達を伴う喜ぶ心と生徒の扱う花の魂も大切にできる器でなければならないと思うのです。当たり前のことなのですが,レッスンで見落としがちな点かもしれません。
遠く離れていても空はつながっている~ 旬菜里の秋」 に飾るまで
ハローウィーンアレンジのレッスンもおわり,市場のチューリップやアネモネたちを迎え,クリスマスデザインに悩んでいたとき,秋のイベントで作品を飾らないかとお話を頂きました。有名な書道家も「月」という素晴らしい書を展示なさるとのことで,是非ともやらせていただきたいとすぐにお返事しました。とはいうものの,屋外でどれくらいのものを作ったらよいのかわかりません。現場を見に行かせていただいたところ,入口左側の丸太の上に「月」を作ろうとすぐに決まったのです。
教室に帰り,デッサンにかかります。円形の発泡スチロールに十八番のシサルリーフをつけて三日月を作ろうと思い,デザイン画を主催者に見せると「素敵ですね」と言っていただきましたがこれではまずいと思ったのです。私もプロの端くれとしてコメントが何を表すかはわかります。。。。(苦笑)
もっと自然感を,素朴なエネルギーを表現したいと,ふと木の皮でベースを作ろうと皮を薄く剥がして貼り付けました。それは,現場の片隅に積んである木の皮の山を見て「こちらを一枚頂いてもいいですか?」と何気なくいただいてきたものでした。
屋外での作品は,スケールがどうしても小さく見えがちです。だから,スケールそのものではなくて,第一に入り口で目立つこと,第二にそばでみると凝っているように見えることを大切にしました。月を二つ作り,それぞれの円周を異なる花材で三日月風に囲むことにしました。花材はすべてそこにあるものを使用するつもりだったので,グリーンの種類には事欠きません。けれども,どうやって発泡スチロールを立てましょう。。円形発泡スチロールを立てるために重みのあるスタンドが必要でした。
主催の方が丸太を使ってスタンドを作ってくれるというのでサイズを送りました。
台座をつけた2本の丸太がスタンドとなり手元にきました。はめてみるとぴったりです。よし!これはいける!是非ともご期待に添いたいと思いました。他者の協力は私をパワーアップさせます。。。。
完成まで2部程度を残して現場に持っていきます。仕上げは現場で行います。
現場はすでに周囲の草も刈られてきれいに整理されており,主催者側の優しさを改めて感じました。犬蓼を摘んでガラスチューブにさし,主催者からいただいた麦の穂を加え,柿や烏瓜をもいで加えます。花材の宝庫で幸せを感じていました。
夕方からのバンドライブのお手伝いさせていただきました。というのも,昨年,JUNE FLORALに協力してくれたバンドのボディフラワーを作ったのです。ボーカルの方は,フラワーの見せ方がお上手でグリーンのトレーンを自由自在に動かしながら歌ってくださり,デザインの特徴を見せていました。
アシスタントのいない現場で作成していると,早めに来た子供たちが「わあ~すごい!」と驚きながら通りますし,「なにこれ?」と言って木の皮を指さしたり,ボランティアの人たちも声をかけてくれます。教室でのボディフラワー作成時にもモデルさんが陣中見舞いに来てくださりましたし,ほんわかと温かい気持ちの中で作成しました。フラワーデザイナー共同体のようなテクニックの切磋琢磨はありませんが,様々な職種,様々な年齢の人たちの集まりの中で,地球の温かさに気づきます。また,芸術は全てつながっているので書や歌からも学べます。特に,地球から学びました。これが,WFCが提唱し,JUNE FLORALが育んできた「花を通じて平和」ではないか,真実のPeace through Flowersに出会えたような気がします。
この場を借りて天国に一言
―Dean, we can find it everywhere. WFC can be everywhere.
―My sweetheart, thank you for your support. Appreciated you have been watching my arranging flowers.
6月のフリーダム
毎年,6月を迎えると教室の名前のせいか普段と違う気分になる。今年は2か月の休業明けだからよけい感慨深い。
レッスン花はレッスン日の夜明け前に仕入れにいくのだが,今回の花材は輸入花だけにした。というのも,緊急事態が緩和されたのは日本だけでなく,ランやトロピカルフラワーの輸出をしている東南アジアもそうだからだ。生徒にはほんの少しでも,他国と共存している感を味わってほしいと思う。WFCのおかげで各国に友人ができ,長年日本支部の連絡係(支部長ともいうが)として各国と連絡を取り合ってきたおかげで,引退した今も交友関係にある。国内を見ると時折,本当に引退したんだなあと寂しく思うときもあるが,サポート役として次世代を応援していきたいと思っている。
誰もが自粛のために住んでいる街で過ごしている。私の住んでいる街は人口も4万ほどの東京からの通勤圏内で,昔は城もあり,それなりのもめごともあったそうだが徳川家との歴史も持つ。現在は,私立大学が1つ,公立高校が2つ,私立高校が1つという田舎にしては文教的であるが,かなり閉鎖的である。ゆえに,井の中の蛙になりやすい。実は私もその一人で,大学に入って5月病になったくらいである。
私は地元の公立学校で育ったがかなり活発的だったと思う。というと学友会や部活動などを想像するだろうが,そうではない。中学校でも高校でも,校則に異を唱え,服装規定を変えたのである。といってもどんな靴下をはいたらいいかという些細なことだが。。。
中学2年の時に始まった。私が入学する2年前にセーラー服からブレザーとジャンバースカートスーツというおかしな制服に変わった。それも紺のブレザーやチェック柄ではなく,色鉛筆の青色一色のスーツでスカートにいたっては幅20センチの箱ひだであった。それだけでも不気味であるのに,靴下は白の三つ折りソックスであった。私立学校のセーラー服に三つ折りソックスという制服はとてもかわいいが,安っぽいサージのよれよれジャケット制服と三つ折りソックスでは,言葉は悪いが田舎臭さ満載である。思春期には美的感覚も養わなければいけないというのは私の持論であった。1年目はどうでもよくて無気力に過ごしたが,2年目に同志をみつけた!彼女とタッグを組み,『ソックス改革』を行った。
同志と私は,民主主義として校則を変えることを誓った。そして校則は生徒が快適に学校生活を送るために存在することを(勝手に)定義した。だから,校内全生徒の統計をとり(ほとんどの女子が三つ折りソックスに反対なのはわかっていた)データとして生徒総会で発表して議会にかけてもらおうと決めた。天は必要なものを与えてくれるものである。ことを進めるためにクラスの女子は全面的に協力してくれた。皆,カッコ悪い制服は嫌だったらしい。男子と言えば,後に国立大学に進学する男子は協力してくれたし,そのほかの男子はどこ吹く風で無関心だった。私たちはウーマンパワー旋風予備軍だったかもしれない。
民主主義案では,数種のソックスをはいたモデル写真をとり,その写真をもって各クラスをまわり,どのソックスが制服に似合うか全生徒の答えを集計するというやり方をとった。先生方が職員室に集まる朝の読書時間が最適だった。モデルになってくれる女子に,三つ折りソックス,白無地ソックス,ワンポイント付きソックス,太いラインが入ったソックス(当時流行っていた)という4種類のソックスをはいてもらい,顔から下写真を撮った。それもブレザーを着たスーツ姿,ブレザーを抜いたジャンバースカート姿両方である。私たちが望んだのは白無地ソックスだから,到底こんなのは許されないでしょ!という流行りソックスをわざと入れた。自由を望んで履きたいからではなく,あくまでも制服に似合ういでたちを主張できると思ったのである。
若いっていいなあと思う。外敵から守られた学校という塀の中で自分の主義主張を唱えることができる。学校側にとっては扱いにくい生徒であったが,彼らのストレス解消の代行でもあったとも思う。功あってか,『ソックス改革』は成功し,翌年からすべての新入生も在校生も三つ折りソックスではなく白無地ソックスをはくようになった。もちろん生徒総会で発表したのは同志であった。彼女のほうが弁も立ったしリーダーの素質があった。後に彼女は国立大学に進学し高校教員になった。私はと言うと,写真の現像代や撮影のためのソックス代を出す役割。。いわゆる材料を整えて,さあ準備開始よ!という立場。こういうのって一生変わらないらしい。。
ちなみに,高校は同志とわかれ,公立の女子校に進んだが,制服規定が同じく三つ折りソックスだったので,仲間がそろった2学年の時,再度ソックス改革(?)を行った。こちらは前年度に勇気ある先輩が『傘改革』(長年の「傘は紺たるべし!」を撤廃して自由な傘!にした。)をやっていたし,担任の先生が40歳過ぎでいらしたけれども中高一貫の女子校卒でおしゃれでいらしたことや,一年留学から帰ってきたばかりとか翌年留学予定のクラスメートがいて,フリーダム意識が強かったので結構楽に進んだ。もちろん,「勉強に服装は関係ないでしょ!」という超まじめな方もおいでだったが…。
こういう活動を自由に行えるのは,田舎の公立学校だからかもしれない。山武地域で最初のフラワースクールであるジューンフローラルは,フラワーアレンジメントへの偏見にかなりであったけれども気にならなかったのは,学生時代からのこういうフリーダムスピリットが残っていたからかもしれない。ただ思うのは,仲間には当然だけれども,闘争相手にも敬意を持たなければ成り立たなかっただろうということだ。そのことは,ガンジーやキング牧師の功績を読んでことさらに感じている。
2か月ぶりのレッスン~ハーブにホッ
みなさま,いかがお過ごしですか?
日本も緊急事態宣言が解除される地域が増え,25日には首都圏でも解除され,ウィルスと共存する生活が始まろうとしています。
教室も少しずつ共生体制に入るために,ご要望のあった生徒さんと21日の金曜日に1時間だけお花の時間を作りました。アルコールナプキンや消毒液を用意し,3密にならないようにお席の配置も変えました。が,テーブルの配置を変えると照明を変えなければならないと気づきました。持続化給付金が必要かな。。(笑)
レッスン日,空が明るくなったころ,久しぶりに仕入れに行きました。今回は,1時間で作成できる簡単でおしゃれ且つ安心感のあるデザインの予定です。いつもは数日前から構成が決まっているのですが,今回は「安心感」という課題があるのですっきりと決まらないまま仕入れに向かいました。ベース(器)を先に決めようと,資材屋さんにGo。目についたのがこれ。鳥かごバスケットです。市場に向かいながらアフタヌーンティの3段皿やフラワーケーキも考えましたが,いまいちピンとこなくて。。。これなら簡単におしゃれに活けられそう!
仕入れ先は日本で一番大きく,国内で初めてオートのセリの機械を入れた市場です。世界で一番古く大きいのがオランダのアルスメールという市場ですが,その次をいくような大きな市場です。2個のセリ場と一流の仲卸さんがたくさん並んでいて,質の高い花,新種や珍しい花を買うことができます。
うちはレッスン当日に買い付けに行く程度で,週に何回も買い付けに行く花屋さんとは違います。そういうこともあってか,市場では新鮮な気持ちというか,いつも初心者です。生徒さんの顔を思い浮かべながら,お花を選ぶのはまるで天国にいる気分です。今日は2か月ぶりの市場で,仲卸通りをゆったりと見て歩いていました。すると30年近くおつきあいのある仲卸さんが「宍倉さん!」と声をかけてくれました。
―どお?(コロナの影響は)大丈夫⁇―
―おかげさまで。。。でもレッスンは2か月お休みしてたわ。―
―やっぱり。。。レッスンはしょうがないよね。どう?(うちのお店に)寄っていってよ。―
―やっぱり再開レッスンには,ここの花を使わなくっちゃね(笑)―
飛びついたのはバラのアヴニール。う~ん。やっぱりこのバーガンディー,ローズ系っていうのかな,こんな色が好き!
お!ガーベラも捨てがたいぞ!いい色だし,大きさもちょうどいい!
ブライダルルージュの明るいピンクは生徒さんのお気に入りカラー。これはいれなくちゃ!
ふと見ると,「ティーツリー」と名札がついた葉があります。アロマオイル好きの方はすでにご存知ですね。
―これ,ハーブのティーツリー? 抗菌作用があるのよね。― と私。
―ハーブ系っていうか,森の香りがするよね。― と仲卸さん。仲卸さんとのこんな会話も楽しみの一つです。
ティーツリーってアボリジニの常備薬だったらしいです。抗菌抗炎症効果があって,切り傷や呼吸器系感染症に役立つとも言われています。(医薬的なことは調べてみてね。)
ということで,ウィルスに負けない?消毒の役目をするティーツリーをデザインに入れることにしました。薄いピンクのアスチルベも線がきれい♡
ところでハーブといえば,ラベンダー。これはイングリッシュラベンダーです。一鉢買ってきました。デザインに加えるのはほんの1本だけでかなりいい香りがします。玄関に香りのあるものをおくと「香切り」といって,邪悪なものを断つ意味があるそうです。ウィルスを断つ!(苦笑)
これからの新たな生活様式のためにも,ハーブを加えるデザインもこれからお伝えしていきたいと思います。
WFCサミット録~ラトビア(1)
World Flower Council(WFC)という「花を通じて平和を」という国際団体があります。アメリカに本部があり40か国以上の方々が在籍しています。花業界の方が多いのですが,花を愛する人ならだれでも入会できます。メイン活動は毎年行われるサミットと呼ばれる世界大会です。オリンピックのように開催国が毎回変わり,たいてい4日間にわたって開催されます。初日は夜のウェルカムパーティーで始まり,2日目は観光,3日目と4日目はショー,そして最後にガラパーティで締めくくります。世界中から集まった人たちが一緒に花を活けながら楽しく過ごせるように,スケジュールが組まれます。私は会員になって20年経ちますが,世界中に友人ができました。

今回は2004年ラトビアで開かれたリガサミットのpart1を綴りたいと思います。

ご存知ラトビアはバルト三国の一つで,(他2つはエストニア,リトアニア)隣はロシアです。私はリガサミットの後にサンクトペテルブルクでのインターナショナルフラワーショーに出るというスケジュールでした。日本~フランス~ドイツ~ラトビア~ロシアからまた逆コースで帰国しました。リガからサンクトペテルブルクへは寝台電車で行ったのですが,深夜に電車内でパスポート検閲税関を体験しました。一人では不安ですが,WFCロシアメンバーがサポートしてくれました。

リガに話を戻しますね。ラトビアの首都リガについてびっくりしたのは,お洗面の鏡の位置がとても高いことでした。ラトビアの女性たちは背が高い,おまけに美人で肌がとてもきれいです。北欧の空気の賜物かなあと思いました。身長150㎝の私はお洗面では不思議の国にいる感じがしましたが,これがサミットのネームタグです。ウーマンパワーの国らしいですよね。もうボロボロですけど,お気に入りなのでお花のツールバックにずっと下げています。

サミット会場はリガのCity Hall,いわゆる公民館です。地元の文化会館よりもドラマチックな建物です。下の写真はショーの会場風景ですが,こんなステージでショーをしたなんて自分でも驚きです。(ショーは次の機会に。)



ガラパーティの会場はフロアが変わりますが,まるで貴族の舞踏会ですよね。こういうところで国際的なマナーを学ぶことができます。When in Rome, do as the Romans do. (郷に入れば郷に従え)若い方はどんどん世界へ出ていくといいと思います。ただし,礼儀作法を身につけてからね(笑)


パーティの生演奏は女性バンドです。当時の首相も女性でしたから,本当に才媛の国だと感じました。

今回どうしても見ていただきたいのがこれです。フラワーマウンテン。

こうやって町の中心につくるのですけど,町中の人たちがお花を1本ずつ持ち寄ってお花の山を作ります。祈りながらひとり1本ずつ捧げるそうです。知らない人同士が協力し合って大きなことを成し遂げる,素敵な国民性だなあと思います。


WFCメンバーもパーティの後,ドレス姿のままお花を捧げ祈りに行きました。




お気づきになりました?私たちが持っている花です…。パーティのテーブル装花がガラスベースに花丈をそろえた投げ入れのデザインでしたね。そうなんです。ガラパーティのテーブル装花はフラワーマウンテンに使用するためだったんです。余談ですが,パーティ装花も主旨を考える必要がありますよね。私もお客様が持ち帰ることができるように,たくさんのミニブーケでセンターピースを作ったことがあります。

フラワーマウンテンのそばでは,生演奏もありました。

次に控えるサンクトペテルブルクでのショーでも実感しましたが,このサミットで「花と音楽」は切り離せないと確信しました。1+1=100くらいになるかも。。。そのうえ,それが日常となっているこの国の人たちの芸術性の高さといったら。。
フラワーマウンテンにみた「1人一つが集まれば大成す」と「花と音楽のハーモニー」,私のフラワーライフの姿勢を確たるものにしてくれました。昨年,Juliaのショーで生演奏をお願いしたのもこういうspiritがあるからです。
Thank you, 2 Ilzes, hostesses of Riga Summit. May you spend happy days in safe.
The article is dedicated to Dean
緊急事態宣言も5月末まで延長されました。皆様がお健やかにお過ごしになりますように。
Praying for peace through flowers.

甲骨文字からくる強さ
甲骨文字とはご存知の通り,四大文明の一つで中国に起こった黄河文明の代表的な文化で,亀の甲羅や骨に刻んだ文字をさす,いわば漢字の起源です。
アジアデザイナーの作品からはとにかく力強いイメージを受けます。作品にカスレが存在しないとも言えます。細かく正確なストラクチャーやフレーム,規則正しく並ぶ花の集まり,咲いているものは咲いている今を,つぼみのものはつぼみの今を美しく見せてくれます。ありのままに見せる美がそこにはあります。激しい感情をもシェイプ(型)の美にかえてしまう芸術性に息をのむほどです。
そういうデザインと甲骨文字となんの関係があるかというと,そうなんです。甲骨文字にも形と強さを感じますよね。これまで20年以上,様々な国のデザイナーと接して,彼らの作成に関わりながらお国柄というものを感じました。手伝っていても自分の花を活ける時とは違うなにか,(緊張感は当然ですが,)わかりやすく言うと力の入れ具合です。花を持ち,挿すときの指先や腕の力の入れ具合がどうも違う,腹の底から力をいれて一輪を持つとか指すというような,ふだんと違うことを感じました。硬い物に文字を刻む甲骨文字を書くときは,力を抜いては文字にならないでしょう。漢字の起源である甲骨文字は力を入れるところから始まったのです。だから,その文字を作りだした祖先をもつ彼らの作品構成や花を活けるという動作において,力を抜いた部分が見当たらないのです。自然,作品に力強さを感じるのでしょう。
大陸から伝わった漢字は日本では「真名」と呼ばれて男性が使うものでありました。そして漢字をもとにして,万葉仮名,草仮名を経て,現在のひらがなとおなじ表音文字である「仮名」ができました。平安時代にはひろく女性にも使われましたね。そのころはすでに筆を使って紙に文字を書くようになっていましたから,文字を書くための力はそう必要ではありませんでした。男性の紀貫之が書いた「土佐日記」は有名ですね。冒頭で「男もすなる日記を女もしてみむとてするなり(女の私も仮名で,男性がお書きになるという日記を書いてみますわよ)。」と言っています。平安時代の文化と言えば,「源氏物語」「枕草子」が超ウルトラ有名ですが,このひらがなによって女流文学が花開いたのはいうまでもないでしょうし,ひらがなが醸し出す柔らかさは,今のような困窮した日々であっても穏やかに過ごせる日本人の精神の源かもしれません。
ここで文学の伝達手段である「ひらがな」に目をむけてみると,ひらがなにはカスレがあります。「り」とか「け」というのは最たるもので,お習字で「いろは」を習ったときに「すっと入って,すっと出るのですよ」と教わりました。(リンク先の氏に指導を受けたいものです…。)筆使いで始まった仮名文字と亀の甲羅や骨で始まった甲骨文字では「力」の入れ具合が異なるのは当然でしょう。それが花を持つ力の違いとなり,同じアジアであっても日本と大陸のフラワーデザインの基盤の違いに思えます。
今日,世界中のデザイナーがあらゆる国のデザインや文化を学びながら,様々なデザインを作りだして皆さんの目を楽しませています。世界中を回ってショーをしているアジア出身デザイナーが,若い駆け出しの頃フランスで欧風のデザインを披露してこう言われたそうです。「あなたはアジア出身なのに,どうしてアジアのオリジナリティを表現しないの?」と。それ以来30年近く,彼は母国の文化をベースに様々な国から学んだ慣習やテクニックを加えて,次々と新しいデザインを作り出しています。花の国際交流というのはそういうことではないでしょうか。
フラワーデザインと言語
フラワーデザインを,私はある意味で数学と言語にリンクしたものだと思っています。
スタイルは幾何から来ており,プロポーションは代数で割り出せます。デザイナーなら誰もが思うことですね。では,言語がどうしてリンクしているのかというと,言語とは,ほとんどが〈主語+述語〉でできているからです。日本語では「何がどうする。」「何がどんなだ。」「何が何である。」そして「何がある。」で表せます。この「何が」が主語であって「どうする・どんなだ・何である・ある」が述語になるわけです。いわゆる何かを表すときの骨組みです。ここに修飾語がついていくわけです。「真・添え・控え」に通じるものがあるでしょう。
フラワーデザインでも骨組みがあってそこに修飾物がつきます。副詞のような強調する語として「アクセント」という花資材をいれます。文法で「呼応の副詞」というのがありますが,これは「バランス」をとるときに無意識に使うことと似ています。「右上に線で長く,左下に塊で短く」というような具合です。フラワーデザイナーには数学が得意な人が多いですね。私の知人に日本でいうところの東大を出たデザイナーがいますが,彼のデザインはミケランジェロのように非の打ち所がないほど完成されています。頭脳明晰な芸術家というところでしょうか。
日本人デザイナーでは繊細でふくよかな作品が多いですね。それは古典という文学が存在するからではないでしょうか。古典文学を読むうえで,副詞や形容動詞,形容詞のように修飾語は極めて重要な要素です。私は英語も教えていますが,英語の公式〈主語+動詞〉よりも感動的と思います。“ It is very beautiful.” より,「いとおかし」のほうが何となく含みを感じませんか?(感じない?としたらきっとあなたは国際社会で立派に活躍できるでしょう!)
それらは私たち日本人のDNAに組み込まれています。だから,主役でない修飾というもの,はっきりそれとわからない修飾を理解できるし,そのやり方に長けているのです。英語では関係代名詞や分詞句などが修飾として使われますが,それぞれが主張をしているように規則正しく並んでいなければなりません。節は〈主語+動詞〉のセットが必要ですし,分詞句では正確な前置詞や語順が必要です。こう考えると西欧の美の象徴であるミケランジェロが完璧な作品を作り上げ,レオナルドダヴィンチのモナ・リザがち密な計算によって非がないのは当然のように思えます。ラテン語は英語の基であるわけですから。このようにラテン語からできた英語は完璧な語順と〈主語+動詞〉が必要ですし,中国の漢詩も韻を踏む位置は決められていますね。
日本語では「助詞」というものがあり,古典などは「の」で済まされることが多く見られます。たった一文字「の」をつけることによって名詞は主語にもなるし形容詞にもなります。また語順なんてどうでもいいわけですし,主語などはよく省略されます。古典では主語はほとんど見当たらず,敬語などで主語を探すので古典はきらい~という人も多いのではないでしょうか。一つの文の中に主人公の動作と彼の動作がはいっていることもあり,同じ日本語なのに「誰がどうした」のかわかりにくいのは私だけではないでしょう。けれども,だからこそ,美しいのです。日本語とは無いことが美しいといえる言語,余韻を残す言語と言えるかもしれません。〈主語+動詞〉の文は安定しているし,論理的な欧米のデザインは安定感を与えるけれども,見えないものを想像させる日本語に通じる日本のフラワーデザインは見た人に見えないものを創造させます。だから作品のオーラがふくよかになるのです。
日本人が欧米のデザインを好むようになったのと比例して,英語教育が発達してきました。フラワーデザインが言語とリンクするならば,日本人的なデザインを作り上げるためにも日本語の美しさを探求することはヒントになるかもしれませんね。
28周年おめでとう
Happy the 28 anniversary, June Floral.
























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