人間だけが友達?

まだお花を習い始めて1年ほど経ったころでしょうか、先生がおっしゃいました。ー「花を持った瞬間、この花はどこに行きたいか分かるようになりますよ。」

理屈で花を活けていた私はその時から、配られた花材に手を添えて「どうぞよろしくね。お友達になりましょう。」と声掛けをするようになりました。(周囲に聞こえないようにですが。。。💦)

花との付き合い方はその時からずっと変わりません。仕入れた花々を教室に入れるとき、「よく来てくれたわね。」と言い、花カンにつけた花々に「ありがとうね。」「レッスンは○○時なの。よろしくね。」と言っています。

多くのお花の先生方が(声に出さなくても)同じようになさっていると思います。だから、花に愛され花の仕事をし続けられるのでしょう。

わたしたちにとって花は大切な友人です。共に居られる時間が人間のように長くないけれど、すべての花が私たちの心を理解してくれて優しさをくれていると思います。

人間だけが友人ではないと言いたくなりこうして書き留めました。

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私も含めて「友達がいなくて独りぼっち。」と思う方がいらっしゃいます。それは「ヒトの形をした友達」をさしているだけのこと。そばにいてくれる植物も動物は自分をわかってくれるし励ましてくれます。人間語を話さないだけで、彼らは想いを発しているはずです。言語という偽ることができる表現方法ではなく、波動とかインスピレーションというような目に見えないもので友情をつたえているように思えます。

じっと花を見つめていれば感じてくると思います。私は毎朝、「おはよう」と言って水やりをし、花瓶の水を取り替えます。枯れてしまったときは「ありがとうね。」とお礼を言って処分します。

花に接していると、ヒトに対するよりも優しくなっている自分に気づきます。

学びは笑い

県立高校入試が終わり、塾講師としてはある意味ホッとしている。。

結果よりも経過が大切だと思っている私は生徒が力を出し切れたかどうかが大切であって合否というのはあまり気にしない。と言うと、塾仲間からは非難を浴びるだろうが、合格という結果が後の成功に結び付くとは思えないからだ。。

というのも、World Flower Council、日本語訳すると世界花協議会という団体に属し、日本支部長として各国のリーダーやアメリカ本部のボスたちと長年付き合ってきて、学校の成績など人生であてにならないということを身をもって知ったし、多くのWFCメンバーたちが学力など関係なしに信頼しあい、尊敬しあっていたからだ。

学生時代に勉強せよということは、『やるべきことをやれ』ということであり、詰め込んでストレスをためて100点をとれということではない。世の中には『やらなければならないこと』と『やりたいこと』がある。『やらなければならないこと』は、嫌でもやるべきだと教えなければならない。そのために100点という餌をぶら下げるだけのことだ。

花の道を生きていると、「好きなことでたべていけていいわねえ。」などと言われるが、好きなことだってやりたくないときはあるし、できなくなる時もある。花を活けたくないときもあったし、活けたくても活けられないときもあった。それでも『やるべきこと』として向き合ってきた。WFCメンバーたちはその国のトップデザイナーたちだ。彼らもやはりいつでも花を活けたいわけではない。活けたくないときもあったし、活けられないほど落ち込むときもあった。でも、そこは奮い立ち、自分の感情を押し殺してでも、信念に基づき努力してきたからこそ、今の地位があり、今の技術があるわけだ。

朝寒くて真っ暗な時間に車を走らせて市場に行く。寒いし眠いし。。それでも生徒の喜ぶ顔を見るために行く。渋滞で3時間かかったときもある。でも、自分の道だとやめることはない。

そう、子供たちに、自分の道を簡単にあきらめるような大人になってほしくないから、我慢しても勉強しようねと育てるわけだ。鎌倉幕府がどうだろうと、地中海性気候がどんなだろうとどうでもいいわけで、まずは、やりたくないことをやる精神力をつけてほしいと思っている。

だから、ストレスをためて我慢するのではなく笑って嫌なことに立ち向かうわけだ。笑っていると嫌なことも嫌でなくなり、もっと知りたくなる。。これが不思議なところ。。結局子供たちの奥底には、知りたい欲求があるのだ。それを表に出してやるのが教育ではないか。

「その子に合う学校を神さまはお与えになる」子供を育て上げて確かにそうだと思うし、生徒たちをみていると確信できる。うちの教室はみな合格を手にしているが、出稼ぎに行く塾ではそうではない子も中にはいる。担当していない生徒でも入試前に合否の勘は働く。どうしても行きたい学校とその子が行くべき学校が違うときもあるが、蓋をあけてみるとやはり行くべき学校に行くことになり、そのうえ、その学校で水を得た魚のように生き生きと高校生活を過ごしている。

大人の価値観が真実を探すようになれば、子供たちの学校生活も変わってくるに違いない。まだまだ大人たちが100点を得とする価値観であり、教育業界が保護者の言うなりになる状態だ。いつになったら、真の教育になるのか。

ジューンフローラル

英語と日本語の違い。

3

June

2026年2月10日 23:17

フラワーアレンジメントを教えだした30年前によく質問されました。
「生け花とアレンジとどう違うの?」
こう答えていました。
ー「フラワーアレンジメントの基本が教会の祭壇花から始まったように、フラワーアレンジはキリスト教が基本、いわばすべてを受け入れる『博愛』が根底にあります。いけばなは日本の文化、神道や仏教につながり、いわば『無』が根底にあります。」

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高校英語の授業中のこと、
生徒が無生物主語がどうしても理解できないと言いました。無生物を主語にする言い方に違和感があり、人ではない物事を主語にする文構成を理解しにくいのだそうです。
始めはこう答えました。

ー「主語というのは、『これからこのことについて言いますよ。』というテーマのようなもの。だから、” I was disappointed at the news.”というのは
『わたし』についてこれから話しますよ、という意味が入る。それに対して、”The news disappointed me.”は、これから『そのニュース』について話しますよ、という意味合いである。」

それに対して、生徒は
「何が違うかわからない。。同じに見える。。。」
なるほど、、そう来たか。。と思いました。

ー「言葉というものを神さまから見た表現だとすると、キリスト教圏で使われる英語は、天から地上を見て表現したもの。キリスト教では神さまは天におはすから、わたしという一人称もニュースも地上という舞台で主人公になれる。だから、無生物主語では、舞台の主人公は無生物になる。

それに対して日本は、神様は自分の中におはすので、自分の立ち位置、いわゆる地上目線での表現になるので、『わたし』が中心の表現になる。」

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フラワーデザインといけばなの違いはキリスト教と神道仏教のちがいであるけれども、行きつく先は同じであると教え始めた30年前に思っていました。教え始めて34年目を迎えた今は、その時のインスピレーションは真実だったと思います。今年、フラワーデザインの理論や技術を日本の美の見方を融合させて『Yukyu Style ~ 雪卯流』を立ち上げました。

まだまだ過程ではありますが、花だけでなく英語や古文を教えて導かれた場所は、『この世の表現とは、神の目を通してのことなのではないか』ということです。

ジューンフローラル

日本文化としてのフラワーアレンジメント~お茶席アレンジ

この地球上のいたるところの情報が自宅にいて手に入るようになり,国際的な交流までもパソコンの前に座れさえすれば深めていくことができるグローバルな日々です。特に肉体的に閉ざされたこの3年間は,ウエブ上での国際交流がさらに加速したように自分の環境を鑑みてもそう思えます。花の国際大会は行えなくても,各国のフラワーデザイナーの技術をウエブ上で写真や動画を通じて知ることができますし,10数か国のデザイナーの作品を集めたeBookも作られ,舞台は画面上に変わってきました。

自宅におりながら他国の文化を学ぶことができますが,日本の文化を取り入れたデザインを自分が発信しているかと言われたら,Yesと胸を張って言えなさそうです。よく,外国人のほうが日本文化や歴史に通じていると言われますがその通りかもしれません。もちろん欧米で発祥したフラワーアレンジメントですから,欧米に学ぶことは必要ですが,生活習慣も自然環境も違う国々の文化の真似をすることに疑問を抱きます。

茶道をきちんとならったことはありませんが,お茶をたてる姿勢は好きです。「居住まいを正して」花を活ける姿勢は,フラワーデザインの教義にはありません。私たち日本人は畳の生活で正座をする生活でした。正座は同席している相手だけでなく,そこにある空気をも含むあらゆるものに敬意を表している気がします。歳のせいか,そういう姿勢のフラワーアレンジメントを進めていきたいと思うようになりました。日本の芸道に秀でた方々は年を経るに従い余分なものをそぎ落とした美を表現なさいますが,西欧文化であるフラワーアレンジメントの世界ではいかがかと自分の行く末さえ案じるようになりました。

自分の花の道はどうありたいかと考えると,やはり日本舞踊に始まった自分の人生と切り離すことができないと感じます。そこでなんとなく居住まいを正す文化であるお茶道具に合わせてアレンジしてみようと思ったわけです。お稽古道具なので貧相ではありますが…。居住まいを正すと花も一緒に居住まいを正しているようで,一本一本の茎の流れや小さな,また細い葉の流れがいつもよりもいっそう愛おしく感じます。茎の切り口にさえ愛おしさを感じるわけです。

これから人生の最終期ですから,日本人として生まれた今生を余すことなく有意義に過ごす意味でも,本当の意味での日本のフラワーアレンジメントを進めていこうと思います。

まずは,お茶道具と共に。

お楽しみいただけると幸いです。

ランのアレンジ

Lesson on June 24

蒸し暑いこの時期のアレンジはランがおすすめです。

赤道付近で一年中暑いシンガポール では花の生産はランが大部分を占めます。

今回はシンガポールから輸入した黄緑色のデン ファレ「レモングリーン」を使いました。
クリーム色のバラと黄色いガーベラ,そして白い器。〈白~クリーム~黄色~黄緑〉とい う色のハーモニーもデザインの要素ですね。

青色ライナーアレンジ

Lesson on June 10

6月は和名で「水無月」といいます。水と言えば空の色を映した「海の青」。
今回は,花の中で唯一の青色色素を持つデルフィニウムを使いました。

力強い直線構成の デルフィニウムを活かすにはバーチカルスタイルが良いでしょう。
きれいに見せるコツは垂直ラインをできるだけ長く見せること,フローラルフォームは少 し高めにセットすると下のお花がいれやすくなります。

手を加えないこと

もちろん昔から感じていたことなのですけれども,また自分のテクニックの無さを認めたくないためなのかもしれないのですが,「花を活ける」ということは,花の命を預かるという事でもあるような気がします。

ワイヤーで葉っぱの束をぐるぐる巻きにしたり,花が開かないようにグルーで留めたり,自分の思い描く形に仕上げる細かで丁寧なテクニックも造形美として尊いものだと思います。多くのデザイナーが高度なテクニックを使い,この上なく素晴らしい作品をしあげます。ただそれは美術であり作品と呼ぶものだと思うのです。

花の命を大切に扱うことは,花の持つ良さを最大限に表そうとすること,その良さというものはデザイナーにとって捉え方がさまざまです。色や形ある物体としてとらえるデザイナーは,その特徴を活かして目を見張るようなさまざまなデザインを作り上げます。そこには花の魂は無く,作品の魂ができあがります。

一方,花の魂に同調して「命を活ける」デザイナーもいます。どちらがいいということはここでは重要ではありません。30年近く前におかくれになりましたが,私に書をお教えくださった先生は,いけばなの宗家でもいらっしゃいました。針金やテープなどの補強資材を一切使わず,お花や草という自然の物だけで思い描く姿においけになる流派をお作りになりました。先生は60歳からお花をお教えになったのですが,私も60歳を前に,日本人として花を活けるとは,魂を同調させることに始まるのではないかと思い始めました。お能もお茶も武道も,すべての日本文化というものが魂の同調に始まるように思えるのです。

もちろん,若い頃から花を活ける前に花に挨拶をして,花と友達になるという所作をしてまいりましたが,それとは違う何かが自分の中に湧き出るのを感じます。花の魂で作り上げた魂の集合体,そこには個々の花の持つ魂がきらびやかに存在しなければなりません。個を滅した作品ではなく,個々の集合体です。日本人の特性と言われる個の滅せいは決して個を亡くしたわけではなく,個をもちながら集合体としての存在を重視してきたように思います。

レッスンでは,基本形をもとに説明をすると生徒さんも理解しやすく活けやすくなりますから,論理をもちいます。それ以外に,花たちが生きているか,彼らの魂を尊重しているかを見ることも教えていかなければならないでしょう。

楽しく活ければそれでいい,もちろん楽しんでいければ花も喜ぶでしょう。でもそれは生徒の立場です。私たち教える側は,生徒の上達を伴う喜ぶ心と生徒の扱う花の魂も大切にできる器でなければならないと思うのです。当たり前のことなのですが,レッスンで見落としがちな点かもしれません。

遠く離れていても空はつながっている~ 旬菜里の秋」 に飾るまで

ハローウィーンアレンジのレッスンもおわり,市場のチューリップやアネモネたちを迎え,クリスマスデザインに悩んでいたとき,秋のイベントで作品を飾らないかとお話を頂きました。有名な書道家も「月」という素晴らしい書を展示なさるとのことで,是非ともやらせていただきたいとすぐにお返事しました。とはいうものの,屋外でどれくらいのものを作ったらよいのかわかりません。現場を見に行かせていただいたところ,入口左側の丸太の上に「月」を作ろうとすぐに決まったのです。

教室に帰り,デッサンにかかります。円形の発泡スチロールに十八番のシサルリーフをつけて三日月を作ろうと思い,デザイン画を主催者に見せると「素敵ですね」と言っていただきましたがこれではまずいと思ったのです。私もプロの端くれとしてコメントが何を表すかはわかります。。。。(苦笑)

もっと自然感を,素朴なエネルギーを表現したいと,ふと木の皮でベースを作ろうと皮を薄く剥がして貼り付けました。それは,現場の片隅に積んである木の皮の山を見て「こちらを一枚頂いてもいいですか?」と何気なくいただいてきたものでした。

屋外での作品は,スケールがどうしても小さく見えがちです。だから,スケールそのものではなくて,第一に入り口で目立つこと,第二にそばでみると凝っているように見えることを大切にしました。月を二つ作り,それぞれの円周を異なる花材で三日月風に囲むことにしました。花材はすべてそこにあるものを使用するつもりだったので,グリーンの種類には事欠きません。けれども,どうやって発泡スチロールを立てましょう。。円形発泡スチロールを立てるために重みのあるスタンドが必要でした。

主催の方が丸太を使ってスタンドを作ってくれるというのでサイズを送りました。

台座をつけた2本の丸太がスタンドとなり手元にきました。はめてみるとぴったりです。よし!これはいける!是非ともご期待に添いたいと思いました。他者の協力は私をパワーアップさせます。。。。

完成まで2部程度を残して現場に持っていきます。仕上げは現場で行います。

現場はすでに周囲の草も刈られてきれいに整理されており,主催者側の優しさを改めて感じました。犬蓼を摘んでガラスチューブにさし,主催者からいただいた麦の穂を加え,柿や烏瓜をもいで加えます。花材の宝庫で幸せを感じていました。

夕方からのバンドライブのお手伝いさせていただきました。というのも,昨年,JUNE FLORALに協力してくれたバンドのボディフラワーを作ったのです。ボーカルの方は,フラワーの見せ方がお上手でグリーンのトレーンを自由自在に動かしながら歌ってくださり,デザインの特徴を見せていました。

アシスタントのいない現場で作成していると,早めに来た子供たちが「わあ~すごい!」と驚きながら通りますし,「なにこれ?」と言って木の皮を指さしたり,ボランティアの人たちも声をかけてくれます。教室でのボディフラワー作成時にもモデルさんが陣中見舞いに来てくださりましたし,ほんわかと温かい気持ちの中で作成しました。フラワーデザイナー共同体のようなテクニックの切磋琢磨はありませんが,様々な職種,様々な年齢の人たちの集まりの中で,地球の温かさに気づきます。また,芸術は全てつながっているので書や歌からも学べます。特に,地球から学びました。これが,WFCが提唱し,JUNE FLORALが育んできた「花を通じて平和」ではないか,真実のPeace through Flowersに出会えたような気がします。 

この場を借りて天国に一言

―Dean, we can find it everywhere.  WFC can be everywhere. 

―My sweetheart, thank you for your support.  Appreciated you have been watching my arranging flowers.