学びは笑い

県立高校入試が終わり、塾講師としてはある意味ホッとしている。。

結果よりも経過が大切だと思っている私は生徒が力を出し切れたかどうかが大切であって合否というのはあまり気にしない。と言うと、塾仲間からは非難を浴びるだろうが、合格という結果が後の成功に結び付くとは思えないからだ。。

というのも、World Flower Council、日本語訳すると世界花協議会という団体に属し、日本支部長として各国のリーダーやアメリカ本部のボスたちと長年付き合ってきて、学校の成績など人生であてにならないということを身をもって知ったし、多くのWFCメンバーたちが学力など関係なしに信頼しあい、尊敬しあっていたからだ。

学生時代に勉強せよということは、『やるべきことをやれ』ということであり、詰め込んでストレスをためて100点をとれということではない。世の中には『やらなければならないこと』と『やりたいこと』がある。『やらなければならないこと』は、嫌でもやるべきだと教えなければならない。そのために100点という餌をぶら下げるだけのことだ。

花の道を生きていると、「好きなことでたべていけていいわねえ。」などと言われるが、好きなことだってやりたくないときはあるし、できなくなる時もある。花を活けたくないときもあったし、活けたくても活けられないときもあった。それでも『やるべきこと』として向き合ってきた。WFCメンバーたちはその国のトップデザイナーたちだ。彼らもやはりいつでも花を活けたいわけではない。活けたくないときもあったし、活けられないほど落ち込むときもあった。でも、そこは奮い立ち、自分の感情を押し殺してでも、信念に基づき努力してきたからこそ、今の地位があり、今の技術があるわけだ。

朝寒くて真っ暗な時間に車を走らせて市場に行く。寒いし眠いし。。それでも生徒の喜ぶ顔を見るために行く。渋滞で3時間かかったときもある。でも、自分の道だとやめることはない。

そう、子供たちに、自分の道を簡単にあきらめるような大人になってほしくないから、我慢しても勉強しようねと育てるわけだ。鎌倉幕府がどうだろうと、地中海性気候がどんなだろうとどうでもいいわけで、まずは、やりたくないことをやる精神力をつけてほしいと思っている。

だから、ストレスをためて我慢するのではなく笑って嫌なことに立ち向かうわけだ。笑っていると嫌なことも嫌でなくなり、もっと知りたくなる。。これが不思議なところ。。結局子供たちの奥底には、知りたい欲求があるのだ。それを表に出してやるのが教育ではないか。

「その子に合う学校を神さまはお与えになる」子供を育て上げて確かにそうだと思うし、生徒たちをみていると確信できる。うちの教室はみな合格を手にしているが、出稼ぎに行く塾ではそうではない子も中にはいる。担当していない生徒でも入試前に合否の勘は働く。どうしても行きたい学校とその子が行くべき学校が違うときもあるが、蓋をあけてみるとやはり行くべき学校に行くことになり、そのうえ、その学校で水を得た魚のように生き生きと高校生活を過ごしている。

大人の価値観が真実を探すようになれば、子供たちの学校生活も変わってくるに違いない。まだまだ大人たちが100点を得とする価値観であり、教育業界が保護者の言うなりになる状態だ。いつになったら、真の教育になるのか。

ジューンフローラル

英語と日本語の違い。

3

June

2026年2月10日 23:17

フラワーアレンジメントを教えだした30年前によく質問されました。
「生け花とアレンジとどう違うの?」
こう答えていました。
ー「フラワーアレンジメントの基本が教会の祭壇花から始まったように、フラワーアレンジはキリスト教が基本、いわばすべてを受け入れる『博愛』が根底にあります。いけばなは日本の文化、神道や仏教につながり、いわば『無』が根底にあります。」

画像

高校英語の授業中のこと、
生徒が無生物主語がどうしても理解できないと言いました。無生物を主語にする言い方に違和感があり、人ではない物事を主語にする文構成を理解しにくいのだそうです。
始めはこう答えました。

ー「主語というのは、『これからこのことについて言いますよ。』というテーマのようなもの。だから、” I was disappointed at the news.”というのは
『わたし』についてこれから話しますよ、という意味が入る。それに対して、”The news disappointed me.”は、これから『そのニュース』について話しますよ、という意味合いである。」

それに対して、生徒は
「何が違うかわからない。。同じに見える。。。」
なるほど、、そう来たか。。と思いました。

ー「言葉というものを神さまから見た表現だとすると、キリスト教圏で使われる英語は、天から地上を見て表現したもの。キリスト教では神さまは天におはすから、わたしという一人称もニュースも地上という舞台で主人公になれる。だから、無生物主語では、舞台の主人公は無生物になる。

それに対して日本は、神様は自分の中におはすので、自分の立ち位置、いわゆる地上目線での表現になるので、『わたし』が中心の表現になる。」

画像

フラワーデザインといけばなの違いはキリスト教と神道仏教のちがいであるけれども、行きつく先は同じであると教え始めた30年前に思っていました。教え始めて34年目を迎えた今は、その時のインスピレーションは真実だったと思います。今年、フラワーデザインの理論や技術を日本の美の見方を融合させて『Yukyu Style ~ 雪卯流』を立ち上げました。

まだまだ過程ではありますが、花だけでなく英語や古文を教えて導かれた場所は、『この世の表現とは、神の目を通してのことなのではないか』ということです。

ジューンフローラル